東京五輪最終日は8日、静岡県伊豆市の伊豆ベロドロームで開催された自転車トラック女子オムニアムで梶原悠未選手(24)=埼玉県和光市出身、筑波大坂戸高出=が銀メダルに輝いた。日本女子自転車では初のメダルという快挙だ。その陰には二人三脚で夢を追った母・有里さん(49)の無償の愛があった。 ■支えた母「褒めてあげたい」 「これまで体一つで戦ってきたから、何か他に機材を使うスポーツをやってみたら、新たな可能性があるんじゃない?」。高校入学直後、有里さんのこの一言から全ての物語は始まった。 1歳から水泳をしていた梶原選手は、競泳で五輪を目指していたが、中学3年の時に0・02秒届かず、全国大会出場を逃した。「高校から努力してインターハイに行ける競技をやりたい」。梶原選手はあえて水泳部のない筑波大坂戸高校に進学。陸上部と迷った結果、有里さんの後押しもあり、高校説明会のパンフレットで見た自転車競技部に飛び込んだ。 始めてわずか2カ月で高校総体出場を決めると、高校2年冬のアジアジュニア選手権では5冠を達成するまでに成長。この頃から梶原選手が見ていたのは世界だった。筑波大進学後は自分で考えて練習をしていたが、最適なパートナーは見つからなかった。1年の夏休み、有里さんにあるお願いをした。「オートバイで練習についてきてほしい」 ここから5年たった今でも続く特訓が始まった。125ccのバイクで有里さんが先導して梶原選手が食らい付く。世界に誇るスピードと技術はこのトレーニングで培った。 大学時代には自動車を新調し、国内合宿などで日本中を運転して回った。「娘を手放したつもりが新しい世界が広がっていた。母と娘がこれだけ長い時間を一緒にいることは普通はない。毎日すごく楽しい思いをさせてもらっている」と有里さん。「オリンピックで金メダル」―。娘の夢は、いつしか母の夢にもなった。 一昨年9月には五輪会場近くの静岡・伊豆の国市に拠点を移し、アパートで2人暮らしをする。現在はマネジャーを務める有里さんは「自分の全てを懸けてでも、できることはやってあげたい」と昨年9月にはスポーツフードマイスターの資格を取得。トレーニング面だけでなく、野菜中心のバランスの良い献立を考え栄養面でも支える。追い込み過ぎてしまう梶原選手の気持ちを抑えたり、雰囲気で分かるようなことでも、お互いが言葉にして会話をするなど精神的支柱にもなった。 「母の首に一番に金メダルをかける」。梶原選手が常に口にしていた言葉だ。迎えた本番。メダルの色は違うが、落車もありながら戦い抜いた娘の姿に、有里さんは「私も横を一緒に走っている気持ちだった。悠未の努力は素晴らしかった。誇らしいし、褒めてあげたい」と涙を拭った。 梶原選手はレース後、観客席で声援を送っていた有里さんの元へ向かい、手を取り合いながら言った。「金メダル取れなくてごめん」 「おめでとう」と母。「ありがとう」と応じた娘。苦楽を共にしてきた2人に、これ以上の言葉はいらなかった。
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