クラブユース日本一に輝いた鳥栖Uー18 [写真]=川端暁彦
全国高校サッカー選手権大会の開幕前日となる30日、群馬の地で初めての凱歌をあげたのはサガン鳥栖U-18だった。本来は夏に行われるはずだった日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会がコロナ禍を受けて延期され、冬休みの始めに大会を迎えることとなったがゆえの、少々イレギュラーな日本一到達だった。
鳥栖U-18にとっても今年はコロナ禍との戦いだった。夏にはトップチームでクラスターが発生した余波で、チームとしての活動は停止を余儀なくされた。「ウチは全寮制なので、子どもたちを預かっている責任もあれば、怖さもあった」と田中智宗監督は率直に振り返る。何とか活動が再開されたと同じタイミングで変則開催のスーパープリンスリーグ九州も開幕となったが、「まったく練習できていなかった」(同監督)鳥栖は、開幕で大分トリニータU-18に敗れると、続く九州国際大附属高校との試合も引き分けに終わってしまった。
だが、ここから鳥栖U-18は残す公式戦を全勝で駆け抜けることとなる。スーパープリンスリーグはスタートの失敗が響いてタイトルを逃したものの、25日に半年ズレで開幕した日本クラブユース選手権(U-18)大会では、高円宮杯プレミアリーグ関東を制した横浜FCユースなど関東勢を次々と下して決勝へ進出。5試合連続で関東勢との対決となったFC東京U-18とのファイナルも、終了間際のFW田中禅の得点で激闘の末に3-2と制し、初めての戴冠を果たした。
田中監督は「無事にこうして大会を開催していただいた群馬県の皆さんにまず感謝したい」とした上で、「難しい時期もあったが、選手たちが本当によくやってくれた」と教え子たちの奮闘を讃えた。
勝因はいくつも挙げることができるが、そもそも現在の3年生は、中学時代に鳥栖へ初めての日本一をもたらした黄金世代。戦力が充実していたことはもちろん、勝利経験があるのは激戦の連続となる中で大きな意味を持った。また「Jリーグ終了後から練習へ合流した」(田中監督)トップ帰りのMF相良竜之介とDF中野伸哉の存在は絶大だった。相良は2回戦で負傷して時間限定での起用になっていたが、それでも出てくれば確実に流れを変えた。また中野は「J1のスピードやプレッシャーに慣れていたので」と涼しい顔で語ったとおり、左サイドバックでボールの落ち着きどころになりながら、パスの出し手としても受け手としても機能し、決定機を量産。決勝では、先制される苦しい流れを吹き飛ばす起死回生のミドルシュートまで叩き込むなど、まだ2年生ながら、もはやユースレベルの選手でないことを強烈に印象づけた。
そしてもう一つ大きいのは、指揮官が「今までにないくらいチームワークが良い」と自慢げに語ったとおり、ベンチとピッチの圧倒的な一体感。特に「彼に対しては絶対の信頼があるので」と指揮官が明言するもう一人のキャプテン、DF末次晃也の存在は大きかった。「本当に圧倒的」(田中監督)と語る彼が中心となって毎日選手ミーティングが行われ、連帯を確認しつつ、戦い抜いた。末次は声出しで盛り上げるだけでなく、テクニカルエリアに飛び出して指示を出すシーンまであったが(本人曰く『気付いたらそこに行ってしまっていた』)、その熱は間違いなくピッチ上の選手にも伝わっていた。
決勝戦の後半終了間際、FC東京相手に2-2から3-2と勝ち越すと、直後から青赤軍団による決死の猛反撃を受ける流れとなるが、ここで鳥栖ベンチが「最後のギリギリの状態で託すのは彼しかいなかった」(田中監督)と迷わず末次をピッチへ投入したのは何とも象徴的で、そのまま試合は終幕を迎えることとなった。
「長い選手だと6年の付き合いになる」という田中監督が3年前に続いて胴上げで宙を舞い、コロナ禍を乗り越えて開催されたクラブユースの頂点に、鳥栖U-18の名前が初めて刻まれることとなった。
優勝:サガン鳥栖U-18
準優勝:FC東京U-18
第3位:大宮アルディージャU18/鹿島アントラーズユース
MVP:永田倖大(サガン鳥栖-18)
MIP:常盤亨太(FC東京U-18)
得点王:田中禅(サガン鳥栖U-18)
フェアプレー賞:大宮アルディージャU18/鹿島アントラーズユース
取材・文=川端暁彦
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